よそ行きのジャンケンゲーム
よそ行きは、呆然と立ち尽くしていた。
眼前では、大勢の子供たちとその親が、ジャンケンゲームに興じている。
そばにいる人とジャンケンをして、4回勝ったらクリアという単純なゲームだ。つい先ほど説明を受けたので、ルールはわかっている。
よそ行きは、息子が参加するデイキャンプの親子企画のためにそこにいた。ゲームの参加者は見知らぬ人ばかりだが、みな同じデイキャンプの参加者である。したがって、自分もそこに参加すべきであることもわかっている。
しかし、足が動かない。
数人の子供たちが、隅の方で突っ立っているよそ行きにジャンケンの勝負を持ちかけてきた。そうした相手からの接触があれば、よそ行きも一端の人間として、ジャンケンの対応くらいはできる。ところが、いざ自分から誰かに勝負を挑もうと思うと、足が竦んでどうにもその場を動けないのだった。
よそ行きは、そうした場が大の苦手だった。
会社の立食パーティーや、合コンの徒歩移動、古くは授業の合間の休み時間など、とにかくそういう人間の配置に一定以上の自由度が存在する局面だと、自分がどのように振る舞うべきか、皆目見当もつかなくなってしまう。
集団の構成員がある程度自由に動き回る場合、中心になる人物とそうでない人物がいる。中心になる人物は、いわゆる権力者だ。力関係が決定づけられるための十分な歴史的背景を持たない新しい集団であっても、何らかの外見的魅力や言動の特徴などに基づいて、その場の強者というのは決まるものだ。そして、集団の動きに制約がなければないほど、そうした力関係は如実に現れる。
よそ行きはそれが恐ろしかった。
自分が社会において単に権力者を引き立てる衛星のような存在でしかないと認めることが怖いのであった。
このままでは最後まで残ってしまう。そう考えたよそ行きには、もはや勝負自体を降りるという選択肢以外は残されていなかった。