よそ行きの日記

日記です。オチなし。意味なし。待てど海路の日和なし。

母なる海に帰る

石垣島三日目の朝。

昨日は寝落ちしてしまって、さっき起きた。さっき、というのはつまり、なるほど朝の四時である。

いわゆるひとつの日常から離れて生活のリズムが乱れるというやつだと思うのだけど、だんだん起床時間が早くなっていくあたりに年齢を感じるではないか。昔は、だんだん起床時間が遅くなっていって終いに昼夜逆転、というのがパターンだったと思うが。逆もあるんだっていう。とすると、お年寄りが朝早いのって、規則正しいというより、ある種人生が乱れた結果なのかもしれないな、などと思ったり。


さて。昨日は、雨だ雨だと言われていた(ウェザーニュースに)が、結局晴れた。

ボーッと海を眺め、ふと思う。ここで生まれるっていうのはどういう感じなのかなと。やっぱり家があるわけなので。あそこで生まれる人がいるのだろうなと。いや、生活が便利とか不便とか、教育の選択肢が多いとか少ないとか全然そういう話ではなくて、故郷の風景に海があるっていうのは、どういう感じなのかなと。

私は生まれも育ちも東京都なので、あまりこう、田舎の風景のようなものに郷愁を感じる回路が備わっていない。いわんや、海をや。海っていうのは私にとって旅行先でしかなく、何かを象徴しているかと言えば、まあ精々休暇くらいでしょうか。

こっちに移民してくる人も増えていると聞いた。

案外そういう人の方が、コンプレックス混じりの郷土愛みたいなものを対外的には強く出すのかもしれない。第二の故郷とか言って。きっと、第一の故郷の方にはあんまり思い入れのない方なんだろう。私のように。

そんな人がなんか典型的な「故郷の景色」を見ると、うっかり心の隙間に入り込まれてしまうのかもしれない。

なんだろう。生き別れた母をついに見つけた、みたいな感じなんだろうか。

まあ、人違いなんだがな。そういう意味では。